第4回 チャリティー展を終えて
- 2014.03.12 Wednesday
- 07:04
先週の土曜日に開催したチャリティー展が終わった後、メンバーの一人が「やってる事を、同業者から 偽善 だって言われるのが悔しいんですよね」と寂しそうに言った
3年前のあの日・・・
僕は TV の画面から飛び込んで来る LIVE 映像で何が起っているのか理解出来ないままに丸一日の間ずっと観続け、二日を経て事態がとてつもない規模の大災害である事は認識出来たけれど、あまりにも大き過ぎた為まったく咀嚼出来ない状態で TV やネットからいろいろな情報を拾い集め、僕に何が出来るのだろう?を考えていた時、世界中から集まった 祈り の画像を見つけ、日本のために祈ってくれている人々の姿に感動し、感謝しながら涙した事を忘れない
政治的配慮からだったのだろう、いち早く200億円の義援金を集め送ってくれた台湾の想いに呼応した報道はほとんどなされなかったし、金額(1億6千万円)が低かったせいなのか?「私たちは貧しいから ごめんなさい」と、親日ではあるが発展途上国でもあるバングラデシュの人達が”詫びながら”一日200円の生活費の中からその半分を寄付してくれた事も、同様にあまり報道されなかったように記憶している
昨日、震災のあった時刻に合わせて全国で行われた「黙祷」について強制でやらせては駄目だ とか 原発推進に繋がるから反対だ とかの意見やデモがあるといった記事が掲載されていたけれど、死者に哀悼の意を表したり苦しんでいる人々に手を差し伸べる事を純粋な”心”で行っている人達の想いを、政治や利権や権益と一緒くたに考える人々がいる現実はとても悲しい
悲しい事の多寡や、重さや、痛みは、当事者にしかわからない
だから”何か”をやりたい人はやればいいし、興味のない事はやらなくていい
人によって出来る事はそれぞれ違うのだし、やり方やアプローチは様々にあっていい
人は弱い
でも、貧しい思考回路しか持ち合わせていない人達から”おためごかし”に哀れんでもらって利用されるほど、真の悲しみを背負っている人々は愚かではない
行う人の心の中に在る「人を想う気持ち」の有り様さえちゃんとしていれば、気持ちはきちんと伝わってゆく
チャリティに参加してくれたきっ掛けや事情がどうであれ、偽善と言われ謗られようとも、貴方には60人もの仲間がいて、毎回その主旨に賛同して協力してくれる企業と、作品を購入して募金箱に義援金をチャリティすることを喜んで応援してくださる僕達のファンの方々が400名以上もいてくれるという現実がある
「心」で考えればなんちゃ事は無い
悔しいからといって反論の為に近づく必要も無い
人が「心」で動く時、偽善などという愚かな思考で到達出来る場所などたかがしれている事を善の魂は知っている
個々で出来る事がたくさんあるわけじゃ無いから、自分がしたい事・出来る事を自分の分際の中でやり遂げればいい
それでいいと、僕は思う